With a smell and taste



 ふと、顔を上げる。
 じっとりと温い夜風が頬をなでて、あたしはそっと溜息を吐いた。
 この夜を、これからあいつと過ごすのだ。
 昼間に真正面から欲しいと請われて頷いたことには後悔はないけど。
 でも、なんで今日なのかそれもこんななんでもない日になのかと頭の隅に引っかかっていて、ついでに慌ててあれこれ必要な準備に奔走したもんだから、さっきまではドキドキよりもハラハラした気持ちの方が大きかった。

 身支度もそうだけど下着だって新しいものにしたいし彼の好みなんて食事なんかは判るけど、女性のタイプだとか知らないし知っていたとしても半日でそう合わせられるわけもなく。
 それこそ胸の大きな女性の方が好きだとか言われた日には軽く死ねる。
 いや、お前が死ね。このリナ=インバースを欲しておいてあとからアレコレケチつけるようだったら景気良く山一つ分位吹っ飛んでもらおう。

 ……だけど、ちょっとでもがっかりされたら、やっぱり凹む。
 凹むわよ絶対。
 そりゃあガウリイは良いわよ、誰が見たって理想的な体躯だしハンサムだし。
 彼の頭脳以外にケチなんてつけられようもないのはこのあたしが一番判っている。
 まぁ、さすがに服の下がどうなってるかまでは知らないけど、あれだけ堂々と誘いをかけてくるぐらいだ、ある程度の自信はあるに違いない。

 もう一度大きく溜息を吐く。
 まだ彼は訪れない。
 湯浴みしてくるから、なんてちょっと笑って、でも真剣な顔でどこにも行かないでいてくれよ。ってキスで動きを封じられて。どうしたもんだかとグルグルしながらあたしはベッドに腰掛けてる。

 ちょっとまって、あたしのが先に湯浴みしちゃったってことは今この瞬間にも汗臭くなってってるんじゃないの!? そうだったらせっかくの身支度も何もかもが台無しじゃない!
 ううっ、もう一回お風呂行きたい。
 でもガウリイはどこにも行くなって。
 でも一度気になりだすともうダメ。
 緊張とか焦りとかでぐるんぐるんの感情のせいで嫌な汗が項を伝い落ちた。

 ぽた。
 ぽた。
 「ああっ!!もうヤダ、お風呂行く!!」
 湿った髪が首筋に張り付くのも不快なら清潔じゃないままガウリイとそうなるのもイヤ!
 どうせそういうことをしてたら汗まみれになるとか知ってるけど!
 耳年増、じゃなくて、知識として知ってるだけだけど!!
 そうだ、そうよ、礼儀として最初位はちゃんと綺麗に良い匂いとかさせて待ってたいって思うのは初心な乙女心って奴だから、ちょっとくらい席を外したって問題ないはず。
 うん、大丈夫。
 これは敵前逃亡というやつではなくあくまで戦略的一時撤退って奴よ。
 戦闘前の装備の確認は大切だって郷里の姉ちゃんも言ってたから間違いないわよね、うん。



 ベッドから飛び降りてタオルと小物をひっつかみ、ドタバタ部屋を飛び出そうとドアノブに手をかけた時。
 スッとドアノブが逃げて扉が開いて、ほわんと芳しい石鹸の香りがして。
 次いで開いた隙間からほっこりと血色の良い筋肉質の腹筋が見えた。
 「リナ」と、呼ぶ声がやけに剣呑で。えと、あの、ガウリイ?

 「お前さん、あれだけ逃げんなって言ったのに逃げるとか、ないんじゃないか?」
 唸り声すら混じりそうな低音を落としながら、同時にぶっとい腕があっという間にあたしの腰を掻っ攫う。
 「待たせちまったのはオレが悪い。けど、逃げようとしたリナはもっと悪いんだからな」
 手加減とか期待すんなよ?と耳元に寄った唇が囁いて、そのままぺろりと頬を舐めていく。

 しょっぱい。という呟きが聞こえた瞬間、止まっていたあたしの時間が動き出した。
 「ちょっとまって、あたし、汗臭いから!」
 腰を両腕で抱いた立て抱きのままあたしをベッドに戻そうとするガウリイの肩や胸をべしべし叩いて抗議するも「リナの味だろ?」などと平然と返されて再び思考が停止する。
 いやいや、フリーズしている場合じゃない。
 大体乙女の初体験というものは髪から良い香りがしたり薄暗い室内だったりムードとか雰囲気とか色気とかが必要であって!!
 「ん?待たせちまってる間に汗かいたのを気にしてるのか?」
 可愛いなぁ、リナは。
 鉢合わせ時の不機嫌さが一転、ガウリイの纏う空気が嬉しそうなものに変わり、無遠慮なまま ぐっと力強く抱きしめられたあたしの喉が鳴る。
 髪に顔を埋めて、すうっと深呼吸をするみたいにあたしの匂い確かめるとか、止めて!!
 そりゃああんたはたった今湯浴みしてきたからいいんでしょうけど!!
 あたしは自分が汗臭いのもあんたに汗臭い女だって思われるのも全力で遠慮したんですけど!!


 ちょっぴし涙目になりながら湯浴みがダメならせめて香油を使わせてぇぇぇ!!と心の中で叫んだら。
 唇に柔らかな感触と、それからぼふっと降下する感覚がきて、すぐにぽよんっと弾力のあるものに僅かに押し返された。
 「オレは、そのままのリナの匂いが好きだ」だからそのままがいい。
 そういっていつの間にか下されてたベッドの上に有無を言わさぬまま横たえられた。
 実際口を塞がれていたから言うも言わないもなかったけど、ガウリイのその一言はあたしの気持ちをゲージいっぱいに持ち上げるには充分な威力を持っていて結局そのまま最後までガウリイのペースに流されてしまった。



 爽やかな朝の目覚めが嬉しさと少しの後悔と共に。
 百聞は一見にしかず、と言うけれど、実際に行われたというか共同作業というか、とにかく昨夜の出来事を思い出すと頬が熱いし隣で寝てる奴の体温を感じてもやっぱり照れるし恥ずかしい。
 最初こそ自分の汗が気になったりガウリイから香る石鹸の香りにどきどきしたりずるいって思ったりもしてたけど。あっちこっちにガウリイの手やら唇の。
 うああ、思い出したらこっぱずかしい!!
 と、とにかく、行為が進んで何も考えられなくなってからは、ふっと香るガウリイの匂いを感じる度にドキドキする胸がもっとドキドキしたり安心したりもしたんだった。


 隣で盛大に髪を乱しながらすぴょすぴょと寝息を立てている恋人の横顔を覗き込んで、それから滑らかな頬に口付けを。
 ついでにぺろっと舌を出したらほのかに感じるしょっぱい味と、ガウリイの匂い。
 「うん、あたしも好き、かな」
 湧き上がる思いを確かめる為に口にしたあたしは、飛び起きたガウリイに朝っぱらから押し倒されて愛されて。
 結果、もう一泊……どころか、連泊するハメになり。
 宿を発つ頃にはすっかりガウリイの匂いに包まれる幸せを知ってしまったあたしは、ガウリイがあたしに先に湯浴みを薦めた理由の一つを正しく理解してしまった。